三船美優はヤンデレか?
今回筆を取ったのは他でもない、タイトルにもある通り「三船美優」に関してのことである。
単刀直入に訊こう、「三船美優」はヤンデレである。
是か非か?
答えは否 断じて否である。
しかしそういったイメージが浸透していることもまた事実。
ここではなぜそのようなイメージが浸透してしまったのか?また、なぜ私はそれを否定するのか、について記述しようと思う。
尚この文章は[天藍のカンツォーネ]三船美優 思い出エピソード前編・後編を拝聴させていただきながら打ち込んでいる。
どうして三船美優は`ヤンデレ`と評されるのか?
それは彼女の「セリフの重さ」に起因しているだろう。
「……私を変えてくれたのはプロデューサーさん、貴方……」
「凍っていた心が溶かされたみたいな…なんて、言い過ぎたかしら…。でも、それが本心ですもの…」
「プロデューサーさんの傍に居られれば……雪の舞い散る夜でも……心は暖かいままでいられそう…。そんな気がしています…。」
など、枚挙に暇がない。
加えて多用される三点リーダー、そして彼女の年齢。
「重い」故に「ヤンデレ」である。なるほど、そう考えるのも無理はない。
しかし待ってほしい。「ヤンデレ」の「病む」という部分。
こういった創作における「病む」とは、対象への愛情が理性の垣根を超え、過程もなにもかも飛ばして「目的」にたどり着かんとする猪突猛進さ、であると私は考える。
ここで重要になってくるのが「理性」である。
理性とは、物事の善悪を判断する能力であり、この場合「自分が相手にとって善か、悪か」を思考し、判断する能力。要するに「思いやり」である。
果たして彼女から、三船美優から「思いやり」は欠落していただろうか?
三点リーダーで表現される、途切れがちに紡ぐ言葉は「思いやり」に起因するものではないのか?
確かに彼女はアイドルとしては大人すぎるかもしれない。しかし他のアイドルより生きてきた中で培った経験が、彼女の「思いやり」に帰結しているのではないのか?
彼女はこうも言っている。「人付きあいが苦手で」「プロデューサーと会うまで時間が止まっていた」。
26年の人生の中で初めて手に入れたであろう、自分を受け入れてくれる「アイドル」と「プロデューサー」という居場所。そんな大切なものに対して、執着や独占欲が生まれない人間がいるだろうか。いやいない。
本来ならば「ヤンデレ」になってもおかしくないほどの彼女の背景。
そんな執着も独占欲も包み込む彼女の「思いやり」。
アイドル三船美優を「ヤンデレ」などという稚拙で、安易で、大衆的な言葉で言い表して良いはずもないのだ。
三船美優 ヤンデレ などいうふざけた検索誘導が、二度と現れないことを信じて。
親愛なる美優へ