オタクがおっパブに連れていかれた話
オタクの皆さんは、いわゆる「そういう店」に行ったことはあるだろうか?
キャバクラでも、オナクラでも、ソープでもなんでもいいが、男女がくんずほぐれつするピンクなお店である。
私は全くの経験がなかった。強いて言えば、友達の誕生日プレゼントにデリヘルを呼んだことがあるくらいだろうか。
「どうだった!?どうだった!?」
「なんか・・・恥ずかしくて友達の名前を名乗ったからプレイ中ずっとそいつの名前で呼ばれて勃たなかった・・・」
「うーん・・・」
だが私も一介の成人男性である。興味は存分にあったし、何より社会経験として、一度はピンクな暖簾をくぐってみたかったのだ。
そんな折、数人で酒を飲んでいた時である。
「よし、おっパブ行くぞ」
そう言い出した先輩がいた。オイオイオイ。だいぶアルコールが回ってご機嫌のようだ。気分じゃないし金もないし、私は帰ってSplatoonがしたいのだ。
「金は俺が出す」
おっと。落ち着いて考えてみると、今後の人生にピンクなお誘いが発生する保証はどこにもない。しかも人の金。そう人の金である。
.....
理性と戦ったのはものの1,2分だったと思う。甘い匂いに誘われた私はカブトムシ。いざ行かん、歓楽街。
そもそも歌舞伎町のような都心部で飲んでいたわけでもなく、平日の夜ということもあってか割と人通りは少なかった。それでもギラギラと輝くネオンの看板に照らされた我々のパーティーの内訳はというと
・素人童貞
・オタク
・ED
ニビジムのタケシにも勝てなさそうだ。そうなると、普段は鬱陶しいキャッチのニーチャン達がなんとも頼もしく見えてくる。見計らったように、最後尾を担当していた、シカマル中隊で言うところの日向ネジであるEDくんがキャッチに捕まった。
「お兄さん!いい店ありますよ!最近いい子入ったんですよ!どうですか!すぐ入れます!今空いてるんで好きな子付けますよ!希望とかありますか!?」
「巨乳で童顔の明るい子がいいです」
ゴムゴムの”銃乱打”とでも言わんばかりに回るベラに対し、つらつらと自分の性癖を述べるEDくんに軽く恐怖を覚えたが、閑散日ということもあって値段も安かったその店に決めてしまった我々はお兄さんに着いていくことにした。
一行の新しいリーダーとなったキャッチのお兄さんにぞろぞろと着いていく我々。「こちらへどうぞ」と言われた先は薄暗い下り階段だった。闇金ウシジマくんで見たやつだ!少し腰は引けたものの、後には引けないため階段を下っていく。
闇金ウシジマくんで見たやつだ!初見だが肌を刺して伝わる「おっパブ」の空気。店内はかなり暗く、大音量でALEXANDROSの「ワタリドリ」が響き渡っていたのを覚えている。既に数人のサラリーマンと思わしきおじさん達がお楽しみ中で、「なんか、すごい…」と立ち尽くす我々に店員さんが店のシステムを説明してくれた。料金の説明は「どうせ先輩持ちだし」と聞き流したが、どうやら20分毎に付いてくれる女の子が変わっていくらしい。(友達の触ったおっぱいが回ってくるのすごい嫌だな…)なんて思っていると、こちらへどうぞ、とそれぞれ別の席に座らされた。
席はU字型の大きなソファーで、つまり仕切りなどは無く、暗いとはいえ見通しは良い。なんだか寂しくて怖いので他の席に座っている友達をチラチラ見ていたら、いかにもといった女の子が店員さんに連れられ隣に座った。
「よろしくお願いしま〜す、〇〇です!」
「あっあっお願いします…」
辞書の「童貞」の項目に例として載せられそうな反応をしてしまった。完全に童貞マジックミラー号である。
「若いですね〜!学生さんですか?」
「こういうお店初めてなんで…すみません…」
あまりの緊張に会話が成立しないアスぺ童貞。今、思い出しながら文章に起こすのが大変につらい。
相当可愛かったと思う。とはいえ、私は酒が入ると大抵の女の子が死ぬほど可愛く見える病なので本当のところは分からない。実際、その女の子が友達のところへも付いたのだが、「まぁブス」との評価を下されていた。強がりかもしれないし、私の病気が思ったより深刻だったのかもしれない。
なんだかんだで緊張も解け、具体的にどういう店なのかを説明してもらった。どうやらここはおっパブではなく、正確には「イチャキャバ」というらしい。キャバクラ→イチャキャバ→おっパブ→風俗の順に過激(?)になっていき、イチャキャバは比較的ライトなジャンルだそうだ。加えて、キャバクラのような熾烈な環境で働く気はないが、風俗に勤めるまでは金銭的に追い詰められていない「ちょっとお金が欲しい可愛い子」が多く勤めるのがイチャキャバないしはおっパブなんだそう。
おっぱいは触っていい、キスもしていいが、舌はダメ、下に触るのもダメ。なるほど。
というか「イチャキャバ」って。
一通り説明が終わると、こう切り出された。
「じゃあどうする?おっぱい触る?キスする?」
エッッッッッッッッッッッッ
エロ漫画かなにか?
理性が飛ぶかと思ったが、「年頃の女の子がそんなことしちゃいけませーーん!」と私の中のねこが叫んでいたので、一度落ち着いて周りを見渡す。
友達が女の子のおっぱい揉みながらキスしてて草
前述したように仕切りなどがないため、入店時におじさん達のお楽しみを眺めていたのと同様に、お楽しみ中の友達が良く見える。
自分でも理解できないのだが、私はそれを見て死ぬほど面白くなり、声を出して笑ってしまった。女の子もさぞ困惑したことだろう。しかし私は本当に面白かったのだ。
言語化するのが難しいのだが、普段、いかに仲のいい友達といえど「性欲」を前面に出している姿を見ることは滅多にないのではないだろうか?というか私は一切なかった。だからなのか、酒の力なのか、仲のいい友達の新たな一面はあまりに滑稽に映った。多分、今年一番笑ったと思う。
こうなってしまっては、さっきまでの性欲はどこへやら。私の初イチャキャバは友達の性欲鑑賞会へと姿を変えた。
ほんの数秒前まで性欲に頭を支配されかけていた人間に彼らを笑う資格があるかといえば無いが、とにもかくにも面白過ぎてしまったのだ。
そうして一人でゲラゲラ笑っていると、スタッフのお兄さんに20分の経過と女の子の交代を告げられた。勝手にしてくれ。今いいところなのだ。
しかし、面白コンテンツとしてのイチャキャバの本領はここから発揮されるのだった。
「はじめまして~よろしくお願いします~」
「こんちは~」
「あちらの方のお連れさんなんですよね、じゃあ○○大学なんですか?」
草。
なにをドヤ顔で大学名なんて教えているんだ。聞いていたら学部名まで教えている。何から何まで面白すぎる。性欲に支配された人間はこんなにも脆いのか。
やはり一人で笑っていると、何がそんなに面白いのか尋ねられた。当然である。ウソをつく理由もないので説明した。というかよく考えたらこの人は「さっきまで友達にキスされながらおっぱいを揉まれていた人」ではないか。ここが「イチャキャバ」であれば最悪だが、もはや私にとってこの空間は「ルミネtheよしもと」も同然なのである。いろいろ聞いてみようじゃないか。
「どうでしたツレは」
「ずっと目を見てくれませんでしたw」
「なんか言われました?」
「あ~、一通り揉まれて、彼女よりおっぱい無いねって言われましたw」
お前彼女いないじゃん
文字通り腹を抱えて笑ってしまった。面白すぎる。一体何とおっぱいの大きさを比べたのだろうか。それを女の子にも伝え、二人で指をさして笑った。流石に友達も気づいたようで、こちらを見ながらなんだかニヤけている。ニヤけてる場合じゃないけどな。
流石にその話題もひと段落して、私も笑いが収まったので女の子にいろいろな話を聞いた。笑いすぎて性欲なんて吹き飛んでいたし、なによりそんな姿を今度は友達に見られると思うと、もう「イチャキャバ」としての楽しみ方はあり得ない。
面白かった客の話や、乳首を噛みちぎられそうになった話、果ては自身の恋愛観などを聞いた。その中で、「男なんてね、所帯を持つまではずっとガキなのよ。みんなそうだった。」という言葉が忘れられない。私と年もそう変わらないだろうに、どんな人生を歩んできたんだ・・・なんて考えていると時間が来た。余談だが、先輩の手によって20分延長されていたらしい。かっこいい。趣味・暗躍の先輩がいてよかった。俺のサイドエフェクトがそう言ってる。
すごく楽しかった。
最低な楽しみ方だったとは思うが、面白かったのだからしょうがない。人間、自分に素直に生きないとね。皆さんも、こいつが性欲を全開にしている姿を見たい!と思う友達を連れてイチャキャバに赴いてみてはいかがだろうか。普通に楽しんでもいいしね。女の子はみんな可愛かったです。
何事も食わず嫌いはよくないです。社会勉強は大事。
イチャキャバ、是非。
ハンニバル
名作「羊たちの沈黙」、その続編です。手がけたのはリドリー・スコット監督。
羊たちの沈黙は本当におすすめです。なんとなくエログロのイメージがある方もいそうですし、実際私もそうだと思って恐る恐る見ましたがそんなことはなく、ちょっと死体こそ映り込みますがそんなもんです。
見終わった印象ですが、ずいぶんメインキャストである二人のイメージが変わったなと。主人公?であるクラリスは、前作から随分クールになったな、という印象を受けました。物語上では十年も経っているので、色々な経験の上で、よく言えば”冷静”になったのでしょうか。
対してレクター博士ですが、これは少し残念な変わり方をしていました。前作ではもっと筋の通った、いわゆる”かっこいい悪役”であった気がしたのですが、なんだか小物になりました。彼の殺人シーンもだいぶ見劣りしましたね、前はもっと鬼気迫るものがあったように感じました。
加えて二人の関係性、映し方です。前作は基本的にクラリスの視点で動いていましたが、「ハンニバル」ではかなりレクター博士側の視点を見ることができました。孤高の存在であるはずのレクター博士の視点を映してしまっては、彼のカリスマ性が薄れるのもしょうがないというものです。それに、単純に作品1つ分の情報がこちらにはありますからね。
そして最後の晩餐シーン。あれが安っぽさの元凶なんじゃないでしょうか。私には「悪魔のいけにえ」の晩餐のシーンが重なってしまい、すさまじいB級ホラー感に悲しくなりました。
前は、前は、って言ってますが、正直あの「羊たちの沈黙」の続編なんて見劣りして当たり前ですね。初見の時は見ていて息が止まりそうになりましたからね、比喩でもなんでもなく。
結論を言うと、あまり考察することもなさそうです。面白いことには面白かったのですが、やはり観客が期待する続編を凌駕するというのは並大抵のことではありませんから。
しかしさすがはリドリー・スコット監督といったところで、舞台であるイタリアの景色の美しさとレクター博士の犯罪者としての美しさは見事に調和していたと思います。
今回もキリスト教だの聖書だのがキーワードだったっぽいのですが、さっぱりわかりませんでした。映画を見るたびに自分の不勉強さに泣きたくなりますね。
ミツボシ☆☆★に関しての記述
「アイドルマスターシンデレラガールズ」の登場人物の一人であるアイドル、本田未央。明るく元気な、まさに”パッション”の象徴とでもいうべき彼女。
私は先日、デレマスに登場するアイドル達のキャラソンをすべて聞いておこうとネットサーフィンを開始した。そんな折、彼女の、本田未央のキャラソンである「ミツボシ☆☆★」を試聴した。
軽快でキャッチーなメロディー、元気いっぱいな彼女の声にも非常に合っている。
しかし、なんだ、歌詞が。
現実のアイドルにも「バカキャラ」はいる。それがかわいいと感じる人間も多いだろう。しかしあまりにも。
「そばにいてくれる友達に圧倒的感謝」
「夢に夢見た大フライト」
「ミツボシ☆☆★そろって光ってまぶしい!ってYou Say?」
語彙力が低すぎる。
この歌詞がバラード調でしっとりと耳に入ってきたのであればまだ良かった。しかし先ほど述べたように、パッション全開、元気いっぱいの曲調にこの歌詞が乗るわけである。
歌詞とメロディーは奇跡的な形でシンクロし、最高に頭の悪いハーモニーを奏で始めるのだ。
しかしそれではあまりにも彼女が忍びないと思い、私は新しい歌詞を考えた。
小文字が元の歌詞です。
友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする。頭上で煌めく星々は、いつまでも変わらず私たちを見守ってくれている。
燃やせ友情!パッションはミツボシ☆☆★
最悪の気分で目を覚ました。昨日の酒がまだ残っているのだろう、乱雑に転がるビールの空き缶に目をやり、うんざりした気分で布団から出る。
なやみゴト尽きない時代だ
大量の迷惑メールが携帯を点滅させていた。以前友人に迷惑メールの防ぎ方を習ったが、ややこしくて実践はしていない。それらを削除しながら泥のような意識を覚醒させるのが私の日課だった。
そばにいてくれる友達に感謝
ふと、一通のメールに目が留まる。送り主は「島村卯月」。
「どんな時も仲間がいるから」
彼女と暮らしていた日々の記憶には不快感と満足感が同居している。別れたのは一年前。夕刻を過ぎても帰宅しない日が増え、夜半を過ぎても帰宅しない日が増え、ついにはそれが日常となった。
なんて照れちゃう事
夫婦という間柄を放棄し、娘を放任するに至ったのは必然だった。しかしそれでも、彼女のとの日々は幸せであった。不快なのはそれをいつまでも引きずる自分自身の女々しさだ。
真顔で言えちゃう
更に言えば、このメールを期待と興奮のまま開こうとした自分の姿だ。虫唾が走る。
夢に夢見た 大フライト
自制が切り崩されるのを感じた。妻だった女性のことを思い出す。
手をつないだら
仕事を退職する日が決まると同時に離婚届が送り付けられた。退職は、私が引き起こした事件のせいだった。
大気圏突入も 怖くない
彼女は事件の翌日に娘を連れて家を出た。娘の凛を連れて実家へ。幾度、電話と訪問を繰り返し、話し合いを求めたかわからない。だが、送付された届けに判を押すまで、一度として私に会おうとはしなかった。
ミツボシ☆☆★→パッて弾けて
そのあと娘の、凛の姿を思い浮かべる。確か15になり、妻の実家の近くの女子高校に通っている。成績は優秀で、都内の国立大学を志望していた。
飛び乗って 流星
あとは.... いくらひねり出そうとしても、それだけだった。自分であきれるほどに情報が少なかった。ずっと働き通しで、家族を顧みなかった。
君と夢と愛を
妻も、娘も、すべてを失っていたことを一年越しに痛感する。カーテンから差し込む夏の陽射しが、今の私にはあまりにも染みすぎる。
目指し行くよ 今すぐ
飽きたのでやめます。いい曲ですよね!
アメリカン・ギャングスター
少し前に「ブレードランナー」を見て、その旧作品とは思えない世界観の作りこみに感動して同リドリー・スコット監督の「アメリカン・ギャングスター」をいそいそと借りてきた次第です。
「ブレードランナー」って「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が原作なんですね。いつか読もうと思っていたのでなんだか得した気分です。
他の”いつか読もうと思っているリスト”には「ドグラ・マグラ」「我が闘争」なんかがあります。一生手に取らなさそうです。
あらすじですが、アメリカ合衆国はハーレムを拠点とした一人のギャングの成功と失敗、そしてそれを追う一人の警官の、いわゆるダブル主人公で物語は展開していきます。
ヤクザやマフィア、いわゆる”ならずもの”達の映画は数えきれないほどありますが、難しいですよね。彼らは一般人にはよくわからない専門用語を使いますから、多用されると話の理解が追いつかない場合があります。パンダとか、みかじめ料とか。正直この「アメリカン・ギャングスター」の冒頭は理解しきれませんでした。ふわっとはわかるんですが、仁義上等のやくざ者ならまだしも、アメリカのギャングと警察の関係性なんて知りません。勉強不足なのはそうなのですが。
そして任侠映画の見せ場は何といっても鉄火場です。何が言いたいかというと、視聴者をその鉄火場まで飽きさせないか、いかに”ならず者”の世界観、生き方を押し付けた上で見せ場につなげるか、それがこの手の映画の見せ所だと思うんです。
この映画の主人公であるギャング、フランク・ルーカスは血なまぐさいことを一切しません。淡々とクスリを売り、儲け、邪魔ものは部下に消させる。豪邸に住み、美人な奥さんもいる。本来ヤクザとはそういうものなのかもしれません。
一方でもう一人の主人公である警官、リッチー・ロバーツはすごいです。ガンガンぶっ放して危ない橋もガンガン渡ります。加えて奥さんとは離別、親権をめぐって裁判中。最終的な見せ場である大銃撃戦も彼の主導です。
お前ら逆だろって感じですが、この異常な対比が”平坦なやくざ映画”であるはずのこの作品にのめり込ませてくれました。それだけにラストの臨場感もすごい。
リドリー・スコット監督作品には「羊たちの沈黙」の続編である「ハンニバル」があるので、それもすぐに借りてこようと思います。あとはやくざ映画ですね、「アウトレイジ」しか見た覚えがないので、「ゴッドファーザー」「スカーフェイス」あたりも見たいです。
言の葉の庭
言の葉の庭をいまさら観ました
話は聞いていたんですが、面白かったです
新海誠といえば今年の流行語大賞にもノミネートされていました、「君の名は。」が思い浮かびますね。普通は「言の葉の庭」を見てから「君の名は。」の順番でいろいろ考えるのでしょうが、自分の場合は逆だったのでおかしな見方をしてしまいました。
どうおかしいかというと、両作品の類似点、というか「君の名は。」とどこが似ているかを考えながら見てしまいました。だから、なんだか集中できませんでした。
なんでブログを書こうと思ったかというと、そのいくつか見つけた類似点、共通点をメモしておくためです。また新海監督がヒット作を飛ばしたときに見返すためですね。
それでは箇条書きにしようと思います
・モチーフが空
空が落ちてくる(彗星、雨)
話の進展は屋上で
・独白がつい口に出てしまう
・どうして二人が惹かれあったのかについての描写が少ない
・主人公が絵を描ける(芸術的なセンスがある)
・視点の変化
君の名は。 女性⇒男性
言の葉の庭 男性⇒女性
・補いあう関係
・年上のお姉さん
・フェチズム
こんなところでしょうか
映画でも小説でも漫画でも、作り手の理想というのは色濃く見て取れますよね
この場合「年上のお姉さん」はもちろんのこと、新海監督の理想のカップル像というのも感じられます。
短歌が一つのキーワードになっていますが、その背景なんかも詳しければ色々考えられたのかなと思うと古文の授業をちゃんと受けておけばよかったと反省してしまいます。百香里先生のような美人が担当教師だったら死ぬ気で勉強したのでしょうか。悲しい
三船美優はヤンデレか?
今回筆を取ったのは他でもない、タイトルにもある通り「三船美優」に関してのことである。
単刀直入に訊こう、「三船美優」はヤンデレである。
是か非か?
答えは否 断じて否である。
しかしそういったイメージが浸透していることもまた事実。
ここではなぜそのようなイメージが浸透してしまったのか?また、なぜ私はそれを否定するのか、について記述しようと思う。
尚この文章は[天藍のカンツォーネ]三船美優 思い出エピソード前編・後編を拝聴させていただきながら打ち込んでいる。
どうして三船美優は`ヤンデレ`と評されるのか?
それは彼女の「セリフの重さ」に起因しているだろう。
「……私を変えてくれたのはプロデューサーさん、貴方……」
「凍っていた心が溶かされたみたいな…なんて、言い過ぎたかしら…。でも、それが本心ですもの…」
「プロデューサーさんの傍に居られれば……雪の舞い散る夜でも……心は暖かいままでいられそう…。そんな気がしています…。」
など、枚挙に暇がない。
加えて多用される三点リーダー、そして彼女の年齢。
「重い」故に「ヤンデレ」である。なるほど、そう考えるのも無理はない。
しかし待ってほしい。「ヤンデレ」の「病む」という部分。
こういった創作における「病む」とは、対象への愛情が理性の垣根を超え、過程もなにもかも飛ばして「目的」にたどり着かんとする猪突猛進さ、であると私は考える。
ここで重要になってくるのが「理性」である。
理性とは、物事の善悪を判断する能力であり、この場合「自分が相手にとって善か、悪か」を思考し、判断する能力。要するに「思いやり」である。
果たして彼女から、三船美優から「思いやり」は欠落していただろうか?
三点リーダーで表現される、途切れがちに紡ぐ言葉は「思いやり」に起因するものではないのか?
確かに彼女はアイドルとしては大人すぎるかもしれない。しかし他のアイドルより生きてきた中で培った経験が、彼女の「思いやり」に帰結しているのではないのか?
彼女はこうも言っている。「人付きあいが苦手で」「プロデューサーと会うまで時間が止まっていた」。
26年の人生の中で初めて手に入れたであろう、自分を受け入れてくれる「アイドル」と「プロデューサー」という居場所。そんな大切なものに対して、執着や独占欲が生まれない人間がいるだろうか。いやいない。
本来ならば「ヤンデレ」になってもおかしくないほどの彼女の背景。
そんな執着も独占欲も包み込む彼女の「思いやり」。
アイドル三船美優を「ヤンデレ」などという稚拙で、安易で、大衆的な言葉で言い表して良いはずもないのだ。
三船美優 ヤンデレ などいうふざけた検索誘導が、二度と現れないことを信じて。
親愛なる美優へ
New Horizon
『亜人ちゃんは語りたい』 佐藤 早紀絵先生
主人公である鉄男(教師)恋する先生
早紀絵先生はサキュバスという種族で、人間に触れると催淫してしまうという特性があり、彼女はその特性を嫌悪しています。(催淫してしまわないようにわざわざ田舎に一人暮らしをするくらい)
そんな彼女があるとき鉄男に触れてしまうのですが、なぜか催淫されない
これには色々理由があるのですが、まあそれがきっかけで恋に落ちていくと
サキュバスですからスタイルがめっちゃいいんですよね、でもそれを隠すためにいつも地味な恰好をしている このギャップがgood
てか”女教師”の”サキュバス”とかもう字面が淫猥すぎてそれだけで対戦ありがとうございましたって感じなのに主人公にピュアラヴ(pure love)しちゃってる早紀絵先生かわいい
学校を舞台にした恋愛において生徒と生徒の間で繰り広げられるのが二次創作にしても現実にしてもいわゆる普通じゃないですか、そこに”教師”って要素が入ってくる時点でそれは禁断のアレじゃなきゃだめだと思うんですよね なのに教師の相手が教師ってそれ普通の職場恋愛じゃねえか神聖なる学び舎でなにやってんだ老害共死んでくれ
って思ってたんですけど早紀絵先生のやつはすき がんばれ!早紀絵先生!!
『ドメスティックな彼女』 橘 陽菜先生
あらすじがエロすぎて普通の精神状態じゃかけないので箇条書きにします
①主人公、合コンで出会った女の子と一夜限りの†契り†(one night love)を結ぶ
②主人公の父親(妻は数年前に他界)、再婚
③再婚相手の連れ子が合コンのときの女の子と学校で評判の美人女教師(陽菜先生)だったンゴwwwwwww
④主人公は陽菜先生が赴任してきたときから先生に恋をしていたが、義姉弟になっちゃったことで悶々
⑤そんなことはお構いなしに合コン女(瑠衣)の「あの夜が忘れられない」ぶっぱ、主人公は死ぬ
ドメスティックすぎわろた
シチュエーションだけでたいあり案件なんですけど
経緯はめんどくさいので省きますけど陽菜先生も主人公のことが好きになっていくというね ついには校舎内とか修学旅行先でことに及んだりもするという 神かよォ!?!!?
上でも書きましたが学校を舞台にした恋愛において先生が登場する場合は禁断のアレでなければならないというこの国の法律をばっちり守っています それどころか禁断すぎて直視できないレベルです
生徒教師モノの探究者(インディ・ジョーンズ)と呼んで差し支えないかと思います
どちらの作品も絵がきれいですぜひ読みましょう